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「教えてください、白鳥館長」
−芹沢銈介美術館館長に聞く、芹沢銈介作品の魅力とは−


8、布文字春夏秋冬二曲屏風(1965年)


館長)この作品は、芹沢先生の代表作として有名ですし、各地の美術館にも所蔵されていますね。でも色差し(配色)にかなりバリエーションがあって、同じものはないんじゃないかと思うくらい。屏風でも大作になってくると、配色に関してそんなにバリエーションがあるわけではないんですが、この作品はあえて配色の変化にトライした作品なのかと思います。同じ型でも、配色で相当印象が違いますからね。型は同じなのに、色で大きく印象を変えた作品を見ると、「芹沢先生は色で作品を作る人だな」って思います。
 
staff 栗田)こちらの美術館には茶系のものと黒系のものがありますね。ショップには90?の青地の風呂敷がありますが、風呂敷の中でも特に人気があります。それぞれ印象が全然違いますが、各々が作品として成り立っていますね。
 
館長)模様を生むということに関して、芹沢先生は特別な才能があったと思わざるをえないんですが、同時に色彩感覚にも非常に優れていた。芹沢先生が「型染」を選んだのは、この2つの才能を発揮できる分野だったからではないかと思うんですよ。
 
染色を手掛ける以前、芹沢先生は画家でもあり、デザイナーでもあった。そして、とてもモダンな感覚のある人だったわけですね。たぶん、画家としてもデザイナーとしてもやっていける人だった。その人が型染を始めた時、これは自分の力を発揮できる手法だなという、手応えのようなものがあったんじゃないかと思うんですよ。「模様」(型)と「色彩」(色差し)の二段構えで作品を作るという、新しい道が見えたんだと思う。先生からすると新天地を行くような感覚があったんじゃないでしょうか。絵も描けるし、デザインも出来る人ですからね、スケッチからどんどん新しい模様、新しい型を作る。先生の型紙を見るとそれだけでも立派な作品なんですけど、さらに配色で、別の型じゃないかと思われるほどの変化を生み出しちゃう(笑)。
 
栗田)「型染」という技法が芹沢先生にしっくりと合った。だからこそ才能を開花できたのですね。
 
館長)そうですね、現代的な角度から取りくんだわけですね。だから、技法自体は伝統的でも、仕事の本質はモダンなわけです。でも、芹沢先生はあからさまなアート的な表現には向かわなかった。そこがまた芹沢先生らしいところ。芹沢先生ってすごく洗練された都会人ですよ。若い頃はモダンボーイだったし、ハンサムでおしゃれ、年をとっても、常に新しいものに関心があって、流行にも敏感だったわけです。でも一方、日本の伝統や自然、暮らしを愛惜する気持ちがとても強かった。加えて日本の手仕事への深いリスペクトがあったんですね。それで自分の仕事の根っこも「日本」そして「手仕事」に置いた。本質はモダンで創造的なんだけど、「日本」「手仕事」という芯で貫いているわけですね。これは芹沢の強みだと思うし、優れた見識だと思う。グローバル化が進んだ現代、むしろ地域や伝統に深く根ざして揺るがないものこそ、輝いてみえますからね。セリザワは多分、世界のどこでも歓迎されると思う。
 
栗田)先生の作品は新しさと懐かしさを併せもっているなと感じます。作家・川端康成は「芹沢さんの五十年の仕事は世にひろがって、芹沢銈介の日本があると思えるほどになっている」と評したそうですが、その通りですね。芹沢作品は世界へもっともっと羽ばたいていただきたいです。
 
館長)芹沢先生の作品には、一連の「布文字」作品があります。漢字を布で表現したもので、多くの方がどこかで一度は眼にしたことがあるかもしれませんね。「布文字」って言葉を作ったのは芹沢先生が最初どうかわかりませんが、少なくとも屏風の裏に「布文字」と墨書した例があるので、芹沢先生自身が使っていた言葉であることは確か。その「布文字」で、「春」「夏」「秋」「冬」の漢字4字が大胆に表現されています。そして、その文字の周囲に、それぞれの季節の模様が配置されているわけです。
 
まさに四季がテーマなんですが、「芹沢」というと「春夏秋冬」っていう言葉が思い浮かぶくらい、この言葉を繰り返し繰り返し、作品の主題にしていますね。四季の模様で全体を構成した例はとても多い。
 
栗田)「布文字」の表現も独特ですが、春夏秋冬をテーマにした作品は多いですね。芹沢先生にとって「四季」は特別なものだったのでしょうか。日本を象徴するものだからでしょうか。
 
館長)なんとなく「四季」をテーマに選んでいたわけじゃないと思うんですよ。むしろ「四季」にこだわっているわけで。「四季」をテーマにすると、どうも俗っぽい、「ありがち」な感じにとらえられてしまうんですけど、少なくとも芹沢先生の場合はそうじゃないですね。「四季」は本来、とても大切な言葉だと思うんですよ。だって「四季」って、私たちがその中で生かされている、自然そのものの姿なんだから。
 
館長)この春、コロナ禍のために、外出できませんでしたね。河津桜や山桜まではマスクをしながら見にいったんですよ(笑)。ところが結局、ソメイヨシノが満開になった姿は見られなかったし、その後楽しみにしていた藤も、テレビのニュースでちらっと見ただけ。美術館が休館になってしまう前後であたふたしていたということもありましたが、世界の、そして日本の状況がどう推移していくのか不安で、落ち着かなかったですね。それ以外に関心がないというか、暇があればニュースばかり見ていましたしね。静岡県では5月15日に緊急事態宣言が解除されたので、久しぶりに公園に行ったんです。ただ何も考えず、まあちょっと散歩でもするかという気持ちで。そしたら、池の水面に真白な蓮がたくさん、きれいに咲いていた。ガーンと来ましたよ(笑)。時機を少しも間違えず咲いていた真白な蓮の姿に感動してしまって。その季節だし、あたり前なんですけどね(笑)。でもそのあたり前な様を見て、自分自身がスーっと元の体に戻ってくるような気がしました。ここからまた、自分の暮らしをリセットしていかなければ、って。
 
栗田)そうですね。まさか世界がこんなことになってしまうとは…。私は静岡でも山の方に住んでいますが、ステイホームでむしろ地元のありがたさを感じました。こんなことがあっても四季の移ろいは全く変わらないんですよね。
 
館長)四季って、それ自身が大きな自然の営みでしょう。その中で、植物も動物も、生まれ、育ち、老いて死に、そしてまた生まれる。太古から続いている循環の姿ですよね。「四季」と名前をつけたのは人間ですけど、それは本来人間が出現する以前のものだし、今この瞬間にも四季の大きな営みがあって、その中に、人の暮らしがあるわけですよね。
 
そういう、人がその中で生かされている大きな働きを、またそれに包まれて暮らす人間の姿を、芹沢先生は「四季」で、また「春夏秋冬」で表していると思うんですよ。
 
長いこと芹沢先生の作品を見てくると、芹沢先生には、どうも人間よりもさらに大きなものへの感覚っていうのが、実感としてあるような気がする。それをストレートに作品にしたり、言葉にしたりはしていないので、わかりにくいんですが。たとえば「いろは歌」もそうでしょう。くり返し作品にとりあげているし、着物の模様としてもよく知られていますよね。ですけど「いろは歌」というのは、無常観を説いているわけで、「色は匂へど散りぬるを」と女性が着る着物に染めてあると思うと、「うーん」と思いません?(笑)でも、もちろん芹沢先生は、その「いろは歌」の背後にあるものを深く理解していて、好んで作品のテーマにしているんですよ。それが作品の基調にあるといってもいいんじゃないかと思うくらい。
 
栗田)無常観を表現した着物、と思うとなかなか着られませんね…(笑)。
 
館長)芹沢先生って、なんというか、ものすごく透徹した目で世界を見ている気がしますね。その透徹さは徹底していて、もはや見ている「自分」すら入っていないように思うんですよ。「自分」がそこにいない世界を見ているところがある。どんな巨匠の作品の傑作にも、「にごり」とか「かげり」があるでしょう。でも、芹沢先生の作品にはそれがない。「とらわれ」とか、まして「苦しみ」みたいなものもない。そういう人間の「迷い」の世界からストンと落ちちゃっているように思えるんですよね。そういう作品の境地と「春夏秋冬」や「いろは歌」を好んだこととは、たぶん深くつながっている。だから、先生の目指した美の境地っていうのは、「悟り」という言葉に近い気がしているんですけどね(笑)。非常に東洋的というか。それを、型染という工芸手法によって、また、水墨画のようなモノクロでなく彩り豊かに表現したところが本当にすごい、と思うんですよね。芹沢先生の作品を見るとき、この世本来の姿がポンっと表現されていると思うことは多いですよ。今の展覧会で、うちわのための山模様を額絵にしたものを展示しているんですが、あれなんか見るとぞっとするなあ…。時々、「ああ美しい」って思う里山の風景に出会うことがあるじゃないですか。そのものなんだもの。型になって、ますます真実味が深くなってる。この作家はまことに特別な人だと、心から思いますよ。
 
「布文字春夏秋冬」もやはり、ある種の世界観、曼荼羅かなと思いますよ。「布文字」のヒントの一つが梵字だというのは確かだと思いますが、この作品でも、なんとなく春夏秋冬の四文字に梵字のイメージが託してあるような気がしますよ。いずれにせよ、単なるデザインと捉えられがちな芹沢先生の作品ですが、世界観や哲学に裏打ちされていて、それがすごく自然に、微笑むように表現されている(笑)。ここがまたいいとこだなあと思うなあ。
 
栗田)見る人の想像を超えていますね(笑)。この作品もずっと眺めていられるのはこんな理由からなのですね。ここでも柳先生の思想を体現されているのだなと感じました。
 
●掲載図録『芹沢銈介の作品2018』『芹沢銈介の作品2 屏風』

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