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「教えてください、白鳥館長」
−芹沢銈介美術館館長に聞く、芹沢銈介作品の魅力とは−


3、ようこそ文のれん(1975年ころ)


staff 栗田)「ようこそ文のれん」は、明るい文字の印象から一般のお宅やお店にも合うのれんだなと思います。

館長)こののれん、美術館に来たばかりの頃、反応に地域差があるのに驚いたんですよ(笑)。そういう作品も珍しいんですけども。もちろん、たいていの方は「のれんに『ようこそ』。ぴったりですね!」という感想をおっしゃるんですが、山陰地方から来られた方は「ああ、源左さんの言葉だね!」というんです。

栗田)「ようこそ ようこそ」というフレーズは、実はとても深い意味が隠れているんですよね。山陰の方がよく知る “源左さん” について教えていただければと思います。

館長)源左さんは、本名を足利源左衛門(1842-1930)という鳥取の人で、妙好人といわれた人。浄土真宗の信徒で、その深い信仰の中に生きた人です。柳宗悦先生が強い関心を持って、その言行録を『妙好人因幡の源左』(1950)にまとめ、それに基づいて、源左さんゆかりの願正寺からの依頼を受け、芹沢先生も型染の絵本を制作しています。絵本は1979(昭和54年)、84歳の折の傑作ですが、やはり完成まで約10年かかっていますね(笑)。とにかく、じっくり仕事を進める人ですね。

栗田)芹沢先生は88歳の生涯でしたので、晩年の作品になりますね。

館長)「ようこそ、ようこそ」というのは、源左さんの口癖。「ようこそ文のれん」は、絵本完成に先立つ1975(昭和50)年に制作した作品です。源左さんは、普通の人なら嫌な出来事、あるいは災厄と考えるようなことでも、「ようこそ、ようこそ」と受け入れてしまう。阿弥陀様に生かされている、救いとられているという実感に心の底から満たされていて、「我」がないんですね。誰しも、「ようこそ」と口にはしながら、「ここまではいいけど、これから先は『ようこそ』じゃない」という境界線があるはずだと思うんですが(笑)、源左さんの「ようこそ」にはそれがない。私などには想像もつかないような境地です…。 でも芹沢先生は、それをなんと、のれんにしてしまった。もちろん、その信仰の境地を深く理解した上のことだと思いますが、のれんの分け目の左右に「ようこそ、ようこそ」の二行を配した。これは大変なことだと思うんです。源左さんの信仰の境地を、のれんで表現したわけですから…。いってみれば、源左さんそのものをのれんで表現した作品といえるかもしれないし、だれをも受け入れるそののれんの「分け目」に、人間が持ちうる信仰の深みを表現したとすらいえるかもしれない…。そう考えると大変な作品なんだと思う。

栗田)芹沢先生も境地に達したような感覚で作られたのでしょうか。そのお話を伺うと恐れ多くて間をくぐれませんね(笑)

館長)いえいえ(笑)。きっと家庭用ののれんとしても、お店ののれんとしても、一番ふさわしいものだと思うし、多くの人に受け入れられるでしょうね。芹沢先生も、もちろんそういうものとして制作したと思いますし、それでいいわけです。でも、そういう日常の暮らしの中で、気軽に使われるものにこそ、とてつもない深みがあるというところがすごいですね。もちろん、源左さんの日常そのものがそうだったわけですし、さらにいえば、柳先生の提唱した「民藝」というものはそういうものだったと思う。その深みが、具現化された作品だと思うんですよ。
まあ、芹沢先生の作品はすごいんですよ。どれも本当に。小品に至るまですばらしい。情けない話、私は比較的最近までそれがよくわからなかったし、年をとって、ようやく自分の中でつながって来た部分があるんですけど…(笑)。いずれにせよ、芹沢先生の作品の中でも「ようこそ文のれん」は、あれこれ考えると、私が最も心打たれる作品の一つです。
いやあ、語り過ぎかな…。

栗田)「民藝」の深みが最も体現された作品。聞けば聞くほど奥が深い作品ですね。拝みたくなりました。

●掲載図録『芹沢銈介の作品』

4、立涌幾何文はこちら!
 



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