静岡市立芹沢げ霹術館museumshop (ミュージアムショップ)の公式オンラインショップです。


「教えてください、白鳥館長」
−芹沢銈介美術館館長に聞く、芹沢銈介作品の魅力とは−


2、富士と雲文のれん(1967年ころ)


staff 栗田)こちらはショップの袋にも使われていて、お客様から静岡らしい作品と人気です。雲からぽっかりプリンのような富士山が突き出していてかわいいですよね。
静岡生まれの芹沢銈介にとってやはり富士山の存在は大きかったのでしょうか。
 
館長)富士山。本当に大切なものですね。でも静岡の人はあまり登らないですよね。いつもそこにあるからかな(笑)。私も登らなかった一人でしたが、30歳を過ぎてから義父に勧められて登り始め、登って初めて富士山の大切さ、日本の大切さに深く気づかされました。昨年も、静岡市職員の自主研究会「せりしずの会」のメンバーと登りましたが、9回目でした。あと1回で10回ですが、毎回全然違う印象で、1回1回が思い出深いです。
登るのはそれなりに苦しいんですけどね(笑)。というと、それならなぜ登るの?と言われるんですが、それは富士山に呼ばれるような気がするから(笑)。「来なさい」と(笑)、富士山を見上げていると、いつもそう言われる。そもそもその引力は、近づけば近づくほどすごいです。毎回が登山じゃなくて、登拝ですね。今年は、無理かもしれないですけどもね…。
芹沢先生も、静岡市に生まれ育って、日々富士山を眺めて過ごした。学生時代に東京に3年、また大阪に2年足らず住んだことがあるものの、39歳までは静岡にいましたからね。静岡から見る富士山は、遠すぎず、近すぎず、街の風景の一部として溶け込んでいるし、言ってみれば暮らしの一部だと思うんです。そういう感覚が芹沢先生の作品にもあるように思います。いかにも「日本の象徴!」みたいな、大上段に振りかぶったものではないように思えますね。やはり静岡の人の、毎日富士を眺めて暮らした、親しげな実感がこもっているんじゃないかと思います。私自身の感覚でも「これこれ、これが富士山」という感じなんですよ(笑)。
 
栗田)私も静岡に住み始めてから富士山がより一層好きになりました。確かに、先生の表現する富士山は親しげな印象がありますね。

館長)芹沢先生が制作した富士山の模様は、小さなものを含めるとかなりの数にのぼると思います。のれんだけでなく、型染の葉書にもとりあげていますしね。そういえば葉書の富士山の模様を展覧会のポスターにしたことがありましたねえ!あれは8センチ角位の小さな作品なんですが、ポスターにしてもぜんぜん乱れがない。それどころか、小さい画面に閉じ込められた世界の大きさに気づかされて、私自身も感動しました。同じように感じた方は多かったようで、「いやあ、いいねー!」と市内外の方々から、たくさんのおほめの言葉をいただきました。ポスターも異例なほど売れましたね(笑)。芹沢先生の富士山は本当にいいですよ。
 
栗田)2014年の展示「ふるさとへの思いー芹沢銈介の日本ー」のポスターですね。よく覚えています(笑)。実際の作品がとっても小さかったことに驚いたのと、芹沢作品の質の高さをまざまざと感じました。

館長)でも、このごろ私は、芹沢先生を形容するのに「富士山のよう」といっています。絵も、デザインも、染色も、収集もこなして、恐ろしく裾野が広い。そして、そこから、とてつもなく高く曇りない境地にたどり着いている。しかも優美で、日本の象徴として誰からも愛される。そう思うと、芹沢先生は富士山だなあと思います。でも、実は近づくと険しくて恐ろしい(笑)。そこもぴったりかも(笑)。
 
栗田)芹沢先生がまさに富士山のような人、そうですね。館長は富士登頂に挑んでいらっしゃるので、言葉の厚みを感じますね(笑)。
 
●掲載図録『五十の作品でたどる芹沢銈介八十八年の軌跡』

3、ようこそ文のれんはこちら!

 




Top